夜な夜なカジノやオンラインカジノで勝負をかけるギャンブラーたち。国も時代も人種も性別も違えど、その願いはただ一つー「一攫千金」でしょう。せっかくギャンブルを楽しむなら、一度はジャックポットを当てて、大金を手にしてみたいものです。
本記事では、そんな全世界のギャンブラー達の憧れである、ギャンブル史上に残る世界のカジノでの最大の『ビッグウィン』記録トップ5をご紹介します!一夜にして数億、時には数十億もの富を築けたラッキーな5人は、一体どんな人物たちなのでしょうか?
目次
1. ケリー・パッカー(ラスベガス)勝利額:約20〜40億円
堂々の第一位は、オーストラリア屈指の大富豪であり、超有名メディア王のケリー・パッカーによるものです。パッカーは、「チャンネル9ネットワーク」や出版社である「ACP」といった親子代々続く巨大メディア企業の3代目で、オーストラリアのメディア業界を牽引するような存在でした。
ギャンブラーでもあったパッカーは、ラスベガスのMGMグランドでブラックジャックとバカラを「試しに」プレイしてみたところ、2000万ドル~4000万ドル(日本円にして20〜40億円)もの大勝利を収めました。
元々大富豪なのに、ギャンブル史上世界一の大勝をするなんて…。勝利の女神様は不公平と言わざるを得ませんね。もっとも、パッカーはギャンブルのキャリアの後半には、数百万ドルを失ったとも言われています。
2. ドン・ジョンソン(アトランティックシティ)勝利額:約15億円
アメリカ東海岸で一番のカジノ街であるアトランティックシティでは、ドン・ジョンソンが数ヶ月間で1,500万ドル(約15億円)勝利した伝説があります。ジョンソンは、その策士っぷりとギャンブルの強さから、「アトランティックシティのキラー」というニックネームを獲得したほど。
ジョンソンは元々ブラックジャックの名プレーヤーで、その界隈ではよく知られていました。ジョンソンは、2010年に高額ベットのブラックジャックゲームに招待され、約半年で約1,500万ドルもの大勝利を収めたのです。
ジョンソンには、勝つために疑わしい手段を使用していたのでは?という噂もありますが、ジョンソン本人はそれを否定しています。
ただし、かなりの策士であった彼は、自分が優位になるようにカジノ側に「ルール」「キャッシュバック率」を変更するように交渉し、その要求を飲ませています。カジノ側も、ハイローラーであるジョンソンを手放したくなかったのですね。
ジョンソンに言わせると、ギャンブル(特にブラックジャック)に勝つ秘訣は「戦略」だそう。とにかく、常に戦略を完全に理解し念頭におくべきであり、その結果である勝ち負け自体に関しては気楽でいるのがよいそうです。うーん、大勝利者らしい余裕の発言であり、さすがの説得力ですね。
3. ビバリー・ウィットン(ウェストバージニア)勝利額:約4億円
史上第3位のビッグウィンは、ギャンブルスポットとしてはマイナーな場所であるウェストバージニア州で起こりました。勝利者も、このランキング中では一番身近にいそうなタイプの人です(本当に、ギャンブルってどうしてこんなにも元々リッチな人ばかり勝つのか…)。
カジノ史上第3位の勝者であるビバリー・ウィットンは、既に引退済の元教師です。どうですか、一気に希望が湧いてきませんか(笑)?
彼女の運命を変えたその夜、ウィットンはGolden Chambersというスロットマシンを2時間プレイしたところ、何とジャックポットが大当り!夜の終わりには、370万ドル(約4億円)もの大金を手にしていたそうです。
ウィットンはその手にしたことのない大金に圧倒されてしまい、カジノに勝利金を分割払いで支払うように頼んだとか。いかにも元教師らしい、生真面目な人柄が伺える逸話ですね。
4. マイク・アシュリー(ロンドン) 1億6千万円
これまでご紹介した勝利のストーリーはすべて、アメリカの話でしたが、次にご紹介する第4位の勝利は2008年にロンドンのカジノで起きました。
ラッキーな勝者は、ニューカッスルフットボールクラブのオーナーであり、ミリオネア―のマイク・アシュリーです。ルーレットで1億6千万円を稼ぎました。
その夜、アシュリーはロンドンの「フィフティ」というカジノで、ルーレットをプレイし、160万ドル(約1億6千万円)もの大勝利を収めたのです。ほんの気まぐれにプレイしただけで、その時間はなんとたったの15分間だったといいます。
この勝利には、興味深い逸話があります。アシュリーのベッティングスタイルには決まったルールがあり、ルーレットではいつも17番に賭けると決めていたそうです。彼はその番号だけに賭けることで有名で、最終的にその番号は彼にとって人生最高のラッキーナンバーになりました。
ギャンブルにおいて単一の番号のみでかけ続けることは、勝率を考えるとよい戦略とはとてもいえません。アシュリーは相当な運の持ち主だったと言えるでしょう。羨ましい限りです!
5. モンテカルロ(モナコ)勝利額:約5千5百万円
お次にご紹介する史上第5位のカジノの勝利も、ヨーロッパが舞台です。時代は大分遡り、1891年のことになります。
ヨーロッパはモナコのカジノ中心地にある、モンテカルロストリップ沿いのカジノで、「カジノを破産させた男」として名を馳せた人物がいます。男はチャールズ・ウェルズという名前で、元々は胡散臭いギャンブラーとして知られていました。ところが、ウェルズは、1891年のある時、連日連夜ルーレットをプレイしたところ、23回もの大連勝を収めたのです。回した回数は30回とも言われており、それが本当であれば脅威の的中率です。
ウェルズは普段の評判が悪かったため、カジノ側は注意深くプレイを監視していましたが、ついにイカサマは全く見つからなかったそう。結局その夜、ウェルズは200万フランを持ち帰ることになりました。200万フランというと、現在の価値で5千万円はくだらない金額です。
結果として、そのカジノのディーラーは破産を申告するはめになり、ウェルズは「モンテカルロでカジノを破産させた男」として有名になりました。当時、この驚異的な大勝利のストーリーはヨーロッパ中に知れ渡り、なんと歌まで作られたそうです。
ただし、この話には後日談があります。根っからのギャンブラー気質であったウェルズは、大勝利を収めたあともモンテカルロの同じカジノに足しげく訪れ、賭け続けました。勝利の味が忘れられなかったのでしょうか…。再び同じ勝利を目指したウェルズですが、そんな幸運が何度も訪れるはずはありません。その後ウェルズは負け続け、大金を失ったばかりでなく、莫大な借金を作ってしまったと言われています。
また、その数年後、ウェルズはイギリスで詐欺罪で逮捕されてしまいます。その後8年間も刑務所の中で過ごし、晩年はパリで亡くなったそうですが、お金は全く持っていなかったそうです。
一度は勝利の女神が微笑んでくれたというのに、なんとも悲惨な最後ですね。やはり、詐欺師はどこまでいっても詐欺師なのでしょうか。
日本におけるカジノ事情
ご存じの通り、ここ日本では、カジノもギャンブルも賭博法違反となる立派な「犯罪行為」です。しかしながら、それは過去の話となりつつあります。2016年12月に統合型リゾート(IR)整備推進法案、通称「カジノ法案」が成立したためです。
長年、賭博行為を違法としてきた我が国でそれが解禁されるということで、ビジネス参入を狙うカジノ企業を含め、国内外の注目を集めています。安全性を最優先する傾向のある国民性もあり、ギャンブル依存症や治安への悪影響に対する懸念からいまだに反対の声も多い状態ではありますが、以来、カジノ設立にむけて着々と準備が進められています。
2021年現在では新型コロナ感染拡大の影響もあり撤退企業も出ましたが、候補地の選定は進められています。